この記事では、ゲームの物語に繰り返し登場する「さらわれ役」という存在について、ゲーム史・技術的背景・文化的背景を手がかりに静かに整理しています。
特定の作品を評価するものではなく、ゲームというメディアがどのように物語を形づくってきたのか を見つめ直す記録です。
🗡️ ゲームの物語は「さらわれ役」から始まる
多くのゲームは、誰かがさらわれるところから物語が始まります。
ピーチ姫。
ローラ姫。
ゼルダ姫。
私たちはこの構造を、あまりにも自然なものとして受け入れてきました。
しかし、なぜ「さらわれ役」はこんなにも繰り返されてきたのでしょうか。
そして、なぜ彼らはいつも沈黙したまま描かれてきたのでしょうか。
この記事では、その“当たり前”をほどきながら、
ゲームの物語がどのように形成されてきたのかを見つめ直します。
🧵ゲームの「思い込み」をほどいていく
ゲームの物語には、長い時間をかけて積み重なった“思い込み”があります。
- さらわれ役=女性
- 救出=ハッピーエンド
- さらわれ役=無力
- 救うのはマリオ
- 何度もさらわれるのは不自然
ここでは、これらの固定観念をひとつずつほどきながら、
物語の構造を静かに見直していきます。
1. 「さらわれ役=女性」という思い込みをほどく
さらわれ役といえば女性──このイメージは非常に強いです。
『スーパーマリオブラザーズ』のピーチ姫や、『ドラゴンクエスト』のローラ姫など、
初期の代表作が“女性がさらわれる構造”を繰り返してきたためです。
しかし、実際には男性キャラがさらわれる例も多く存在します。
例:
- 『ゼルダの伝説 夢をみる島』では、リンク自身が夢の世界に囚われています。
- 『ファイナルファンタジーVII』では、クラウドが精神的に拘束され、仲間に救われます。
- 『メトロイド フュージョン』では、サムスが寄生生命体に身体を奪われ、主体性を失います。
なぜ思い込みがほどけるのか:
これらの例は、さらわれることの本質が「性別」ではなく、
主体性の剥奪という構造的役割にあることを示しています。
“女性だからさらわれる”のではなく、
“物語を動かすために誰かが沈黙させられる”という仕組みが見えてきます。
2. 「救出=ハッピーエンド」という前提を見直す
救出すればすべてが解決する──
この構図はゲームの中で繰り返し提示されてきました。
しかし、救出が“終わり”ではない作品も存在します。
例:
- 『ライブ・ア・ライブ(中世編)』では、救出後に悲劇的な展開が訪れます。
- 『ICO』では、ヨルダを救っても、世界の呪いは完全には解けません。
- 『バイオハザード2』では、救出してもウイルス問題は解決せず、物語は続きます。
なぜ思い込みがほどけるのか:
これらの作品は、救出が“物語の終点”ではなく、
語られなかった問題の始まりであることを示しています。
救出=幸福という前提が、ゲーム特有の“省略”にすぎないと気づけます。
3. 「さらわれ役は無力」という固定観念を手放す
戦えない=無力という考え方は、
戦闘中心のゲームデザインが生んだ固定観念です。
しかし、さらわれ役が“別の形の力”を持つ例は多くあります。
例:
- 『ゼルダの伝説 時のオカリナ』では、ゼルダ姫がシークとしてリンクを導きます。
- 『ペルソナ5』では、囚われの仲間が物語の核心となる情報を握っています。
- 『クロノ・トリガー』では、マールの存在が歴史改変の鍵になります。
なぜ思い込みがほどけるのか:
これらの例は、力とは攻撃力ではなく、
物語を動かす能力そのものであることを示しています。
“無力”なのではなく、
評価軸が攻撃に偏っていただけだと気づけます。
4. 「救うのはマリオ」という記憶の型をゆるめる
マリオがピーチを救う──
この構造はシリーズの象徴として語られがちです。
しかし、逆転する作品も存在します。
例:
- 『スーパープリンセスピーチ』では、ピーチがマリオとルイージを救います。
- 『ルイージマンション』では、ルイージがマリオを救います。
- 『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』では、ゼルダがガノンを封印し続けています。
なぜ思い込みがほどけるのか:
これらの例は、救助関係が固定ではなく、
シリーズの中で揺れ動く構造であることを示しています。
“マリオが救う”のではなく、
反復によって自然に見えていただけだと理解できます。
5. 「繰り返しさらわれるのは不自然」という感覚をほどく
ゲームは反復を前提としたメディアです。
そのため、誘拐もまた反復されます。
しかし、作品によっては“なぜ繰り返されるのか”が物語の核になっています。
例:
- 『ゼルダの伝説』シリーズでは、ゼルダ・リンク・ガノンの輪廻が設定されています。
- 『メトロイド』シリーズでは、サムスとメトロイドの関係が何度も再構築されます。
- 『ドラゴンクエスト』シリーズでは、勇者と魔王の構造が時代を超えて反復されます。
なぜ思い込みがほどけるのか:
これらの例は、反復が“物語の欠陥”ではなく、
世界観の仕組みとして組み込まれていることを示しています。
“不自然”なのではなく、
反復こそが物語の根幹にある構造的特徴だと理解できます。
💻 技術的要因とゲームデザインの限界
初期のゲームは技術的制約が大きく、複雑な物語を描く余裕がありませんでした。
そのため、
- 目的が一目でわかる
- 感情移入しやすい
- ゲームプレイに直結する
という理由から、「さらわれた誰かを救う」という構造が最適解とされてきました。
また、操作体系も攻撃と移動が中心で、
交渉・逃走・心理描写といった表現は技術的に難しかったのです。
結果として、さらわれ役は“沈黙したままの存在”として扱われ続けました。
🌏 文化的背景が作り出した「さらわれ役」という記号
ゲームの物語は、童話・神話・英雄譚の影響を強く受けています。
そこでは、
- 囚われの姫
- 救う英雄
- 勧善懲悪の構造
といった記号が繰り返し使われてきました。
日本の「型文化」とアメリカのシリーズ商法が結びつき、
この構造は“変えてはいけないもの”として固定化されていきました。
こうして、さらわれ役は文化的にも沈黙を強いられる存在になったのです。
📖 さらわれ役の意味とゲーム史への影響
さらわれ役は、ただの舞台装置ではありません。
ゲーム史において、彼らは“物語を動かす起点”として機能してきました。
しかしその役割は、
- 主体性を奪われ
- 声を奪われ
- 記号化され
- 消費され続ける
という犠牲の上に成り立っています。
勇者が物語を動かしたのではありません。
さらわれ役の沈黙こそが、ゲーム史を動かしてきた とも言えるのです。
❓ 読者への問いかけ
あなたの記憶の中で、最も印象に残る「さらわれ役」は誰でしょう。
そのキャラクターは、
あなた自身のどんな弱さや記憶を映しているのでしょうか。
Quiet Codes として、
こうした“物語の奥にある構造”を静かに見つめ続けていきたいと思います。

